大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成10年(刑わ)117号 判決 1998年7月07日

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

この裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、ソフトウェアの開発等を目的とする株式会社甲野の渋谷営業所のシステム第一課長として、同社が乙山ソフトウェア株式会社等を介して丙川・システムデザイン株式会社から受注した株式会社丁原銀行向け債券償還案内等のプログラム開発業務に従事していたものであるところ、右丙川・システムデザイン株式会社のために業務上保管中の項目説明書等の資料四枚を、株式会社戊田図書館で複製しその複製物を丁原銀行の顧客データと共に売却する目的で、ほしいままに、平成九年一一月五日、東京都千代田区《番地略》所在の右プログラム開発業務の作業実施場所である甲田テクノサイエンス株式会社五階事務所から、東京都港区《番地略》所在の乙野ビル三階株式会社戊田図書館へ持ち出し、もって、これを横領したものである。

(証拠の標目)《略》

(補足説明)

一  弁護人は、1 被告人は、項目説明書等の資料四枚(以下「本件資料」という。)をコピーしそれを戊田図書館に売却するため、本件資料を持ち出したものではない、2 本件資料は、何ら経済的価値のないものであって、横領罪の対象となる物とはいえない、と主張する。

二  当裁判所で取り調べた各証拠によれば、次の事実が認められる。

1  被告人は、ソフトウェアの開発等を目的とする株式会社甲野の渋谷営業所のシステム第一課長として、同社が乙山ソフトウェア株式会社等を介して丙川・システムデザイン株式会社から受注した株式会社丁原銀行向け債券償還案内等のプログラム開発業務に従事していた。

2  ところで、被告人は、消費者金融会社等に多額の借金を重ね、その返済に苦慮していたところ、平成九年夏ころ、テレビ番組で、各種名簿等の情報提供を業とする戊田図書館が顧客リストを買い取ることを知った。

3  そこで、被告人は、平成九年一〇月末ころ、前記業務について作業をしていた甲田テクノサイエンス株式会社五階事務所のコンピュータに丁原銀行の顧客タンデムデータが約一〇〇〇件入力されていたので、これを戊田図書館に売却しようと考え、フロッピーディスクに右約一〇〇〇件の顧客タンデムデータをコピーし、これを戊田図書館に持ち込みその買い取りを求めた。

戊田図書館の経営者Aは、右顧客タンデムデータを代金三万円で買い取り、その際、被告人に対し、「もっとたくさんの顧客データがあれば、もっと高く買う。」旨告げた。

4  さらに、被告人は、その数日後である一一月五日、甲田テクノサイエンス株式会社五階事務所において、同所のコンピュータのハードディスクに保存されていたメイン顧客データベース中の顧客データ及びサブ顧客データベースの中の顧客データをフロッピーディスク二枚にそれぞれコピーした。

5  次いで、被告人は、右フロッピーディスク二枚と、業務上預かり保管中の本件資料とを右事務所から持ち出して戊田図書館へ赴いた。

被告人は、戊田図書館において、パソコンのハードディスクに右フロッピーディスク二枚から前記顧客データをコピーするとともに、本件資料をコピーした上Aに渡した。

被告人は、右顧客データ及び本件資料のコピーの対価として現金二〇万円をAから受け取った。

6  本件資料のうち、項目説明書三枚は、丁原銀行の債券償還期限対象者データ(以下「債券タンデムデータ」という。)の項目説明書で、債券タンデムデータがどのような項目になっているかを知る上で非常に重要なものであり、この項目説明書がない限り右データを解読することが不可能なものである。また、本件資料のうち、「テレマシステムにおける問題点及び未決定事項について」と題する書面は、右項目説明書を補充するもので、債券タンデムデータを読み取るのに必要不可欠なものである。

そして、右項目説明書等があれば、被告人が戊田図書館に売却した前記顧客データもある程度読み取ることが可能である。また、右項目説明書には「丁原情報システム株式会社」と印字されており、これにより前記顧客データが丁原銀行の顧客データであることが推測されるものである。

二  被告人は、捜査段階において、検察官に対し、本件資料を売却するに至った経緯、動機等について具体的に供述した上で、本件資料を売却するためにこれを作業場から持ち出した際の意図等について、「第一回目に戊田図書館に顧客タンデムデータを売却した際、本件資料が綴られたファイル一冊をAに見せているから、このファイル一冊を戊田図書館に持っていけば、またAからこのファイルを見せてくれと言われるだろうと思った。本件資料を持ち出す際にも、Aに本件資料を見せることになるかもしれないと思ったし、見せてもよいという気持ちであった。当時は、金が欲しい一心でしたから、Aから言われれば、項目説明書のコピー等を渡してもよいという気持ちであった。」旨供述している。

被告人の右供述は、詳細かつ具体的であり、前記一の事実関係からしても不自然不合理なものではない。

三  前記一及び二に認定、説示したところに加え、パソコンに入力された本件のようなデータを売買して利益を上げる業者が、それを入手する際、その解読のために必要な資料等をも求めるのは商売をする上で通常のこととして予測されることであり、コンピュータ関係の仕事に長く携わっていた被告人としても、そのようなことは容易に理解し得ることであろうことを併せ考慮すれば、被告人の前記二に掲げた供述は、極めて自然であり、十分信用することができるというべきである。

四  そうであるならば、被告人は、判示のとおり、本件資料のコピーを戊田図書館に売却するために本件資料を持ち出したものであると認められる。

また、前掲各証拠によれば、本件資料は、丁原銀行の企業秘密にかかわる重要事項に関する書類であることは明らかである。本件資料が横領罪の客体に当たらないとはいえない。

(法令の適用)

罰条 刑法二五三条

刑の執行猶予 刑法二五条一項

(量刑の理由)

本件は、ソフトウェアの開発等を目的とする会社の課長として、丁原銀行向けのプログラムを開発する業務に従事していた被告人が、同銀行の顧客データを売却する際、業務上預かり保管中の項目説明書等の書類をコピーして同顧客データと共に売却する目的で売却先の名簿業者に持ち出し横領した、という事案である。

被告人は、借金の返済等の資金を得るため、本件犯行に及んだものである。その動機は極めて自己中心的で、酌量の余地がない。

しかも、被告人は、機密を守るべき仕事に従事し、かつ、課長という立場にあったものであるから、その背信性は強く、本件は確質な犯行というべきである。 被告人は、本件により、丁原銀行や被告人の勤務先会社等、関係各社の信用を著しく失墜させたものであり、その影響は大きい。関係者らは、被告人の厳重処罰を求めている。

被告人は、勤務先の商品である腕時計合計一三個(時価合計約一〇八万円相当)を約三か月の間に前後七回にわたり窃取したという窃盗罪により昭和六一年二月東京高等裁判所で懲役一年、執行猶予三年に処せられた前科を有する。

このような事情等に照らすと、被告人の刑事責任を軽くみることはできない。 しかし、他方、被告人は、一部不自然な弁解をしている点はあるが、本件を反省していること、そして、被告人は、本件の関係で得た二〇万円相当額を贖罪のため財団法人法律扶助協会に寄付していること、被告人の妻が今後しっかりと被告人を監督する旨誓っていることなど、被告人のために酌むべき事情も認められる。

そこで、これら諸事情を併せ考慮し、被告人に主文の刑を科した上その執行を猶予することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 阿部文洋)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例